2011 読書日記2345冊目 「労働経済論の課題図書」

テストの時期も近づき、読書感想文を課題とする授業の本を読まなければならない状態にここ最近悩まされていました。提出期限まで時間もあまりなかったので、精読することはできず、パラパラと眺める程度でしたが、なんとか終わったので、ここにupすることもない気もしますが、一応記録しておきます。やっつけ感満載の適当な文章ですが、まぁいいでしょう。


一冊目『福祉政治』 宮本太郎

福祉政治―日本の生活保障とデモクラシー (有斐閣Insight)

福祉政治―日本の生活保障とデモクラシー (有斐閣Insight)

少子高齢化が急速に進む日本において、人々の生活保障への関心は間違いなく高まってきている。それが意味することは、国民による国家への期待であり依存である。しかし、仮に国家が使い物にならないほどに腐敗し、機能不全に陥っているとしたら、国民はどこに声をぶつければよいのだろうか。そうしたジレンマに日本は陥っていると筆者は指摘し、そしてその状態を「行政不信に満ちた福祉志向」と名付ける。こうした政治における膠着状態を打破するためにはどのような福祉政治が必要であるかをわかりやすく、そして多くの資料を引用しながら考察していくのが本書である。
 福祉政治とはそもそもどのような政治のことを指すのであろうか。筆者は生活保障をめぐる政治のことであると述べる。ではこれまでの日本において福祉政治は正常に機能していたのであろうか。筆者は戦後日本はとりわけ社会保障関連への支出を渋ってきたと言う。社会保障関連への支出が少ないということは、単純に考えるならば福祉政治は機能しておらず、人々の生活保障は国家によって確保されているとは言えないように見える。しかし、それでいて日本が「社会主義国」とまで言われ、ある程度の安定性を保てていたのは雇用を基底とした生活保障が日本において機能していたからだと筆者は指摘する。つまり、企業や家族などが社会保障として支給するサービスを代替することで成り立っていたのが戦後日本の福祉政治なのである。しかし、筆者はそのような雇用が社会保障を代替している状態は最も脆弱な仕組みに最も強く依存している状態であると批判する。このような雇用と福祉の関係を筆者は「福祉レジーム」や「雇用レジーム」といった言葉を使うことでわかりやすく説明していく。そして日本における生活保障制度の変化、つまり私的な空間で担われていた生活保障機能の公的化やそのような制度の展開を促した人々の利害対立、またそうした利害対立を促したであろう諸々の言説などを取り上げることによって筆者は日本の福祉政治の展開を叙述していくのである。
 雇用と生活保障が密接に関連した形で共存している状態というのはある種日本に固有のものであるように思える。そうした現状を取り上げて、わかりやすく生活保障制度の変遷を述べていく本書は初学者である私にも非常に読みやすかった。何かを公的な手段で持って保障するということに付きまとう人々の利害対立などを取り上げている点でも、読者を飽きさせない工夫が凝らされていると思ったし、良い読書だった。最後に提言されていた相互承認の政治、つまりライフ・ポリティクスは多様なライフスタイルを認めざるを得ない多元的な現代においては避けて通れない問題に焦点を当てたものであると思うのだが、この問題は非常に難しい問題であると感じた。富めるものも貧しいものも当たり前にいる社会において、富むことも貧しくなることもいわば選択可能な社会において、どのようにして両者を接合するのか、もしくは共存させるのかと言う問題は簡単に解決方法がでるような問題ではない。しかし、そうした問題を看過することもなかったことにすることも現代においては決してできない状況において、ライフ・ポリティクスという提言はこれからどんどん検討されるべきものであると私は思った。人々がどこまで自己利害を棄てて共存できるのかは皆目見当がつかないが、そうした理念に向かって試行錯誤することはやはり重要なのだなと、本書を読んで強く感じた。



『貧困襲来』 湯浅誠

貧困襲来

貧困襲来

「自転車で九時間かけて来たんですよ」と言う男性は千葉から東京の飯田橋まで自転車で助けを求めに行かなければならないほど、どうにもならない状態に追い込まれていた。筆者のもとには毎日のようにこのように貧困に苦しむ人々が押し寄せてくるのだという。そうした貧困のいわば最前線で貧困を見つめてきた筆者が、リアルな現状を伝えることを通して日本が抱える重大な貧困問題を明らかにするのが本書。
 筆者はまず、貧困を金銭的な貧富でもって捉えてきた世間に跋扈する認識をただそうとする。筆者が言うには貧困は「教育課程からの排除」「企業福祉からの排除」「家族福祉からの排除」「公的福祉からの排除」「自分自身からの排除」の五つからなる「五重の排除」や様々な分野における余裕としての「溜め」の欠如から引き起こされるものである。だから従来の貧困観では捉える事のできない貧困を否認しようとしてきた政府やマスコミ、市民さらには貧困者自身に対して、貧困は確かに存在するのだという認識を持ってもらうことの重要さを説く必要があるのだと筆者は主張するのである。さらに、貧困をめぐる世間の認識だけではなく、貧困者に対する世間の対応の冷たさを筆者は取り上げ、いかに貧困という現象を我々が住む社会が避けているのかという現状を浮き彫りにしていく。そこでは母子家庭やホームレスに対する自立支援策の抱える問題や役所の水際作戦などに端的に現れている機能しない生活保護制度の問題点、貧困者をカモ扱いにする貧困ビジネの杜撰な現状などが筆者が実際に現場で体験した話を交えながら生々しく描かれていく。ここで描かれる現実に、多くの人は面をくらってしまうかも知れない。そして多くの人が面をくらってしまうほどに貧困と言うものが我々の社会においては隠されてきたのである。そうした隠されてきた貧困を明るみに出し、多くの人に貧困問題は現実に存在するのだということを知ってもらうために筆者は「私たちにできる10のこと」という章を設けて、我々がすぐに始められる処方箋を述べていく。そこでは貧困問題に強固に付随してきた自己責任論を投げ捨てること、自分自身を排除しないことなど貧困者に対するアドバイスだけではなく、貧困を身近に感じたことのないであろう人々に対しても貧困を身近に感じてもらおうと言う意図のもとに様々な提言がなされている。
 貧困というものを生の現場で見続けてきた筆者の言葉にはおのずと説得力が帯びるし、読者すべてに向かって、自分自身を省みさせるような迫りくるものが本書からは感じられた。貧困と言うものは確かに存在して、その一方で貧困問題を煙に巻いてしまおうとする人々がいて、そうした複雑な現状に多くの人たちが思考停止に陥ってしまう現実をありありと本書は浮き彫りにしてみせる。それは筆者の経験があって初めてできることであるし、その経験は多くの人に伝播するべきものである、と強く感じた。今回の課題で筆者の本を読むのはこれが二冊目であるが、わかりやすい語り口と豊富な例とで読者を飽きさせない一方で、読者に対して現実を生々しく突き出すところなどは筆者の著作に共通してある性格なのではないかと考えた。貧困者を見て「あー可哀想だね」という印象だけで終わらせないためにも、それを自分自身の問題とリンクさせる必要があり、そこに焦点を当てているのも、筆者の著作の特徴としてあげられるだろう。こうした特徴以外にも考えさせられた箇所は多々あり、有益な時間を過ごせたと思う。


『反貧困』 湯浅誠

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)


日本国は比較的豊かな国であるし、国民も豊かに暮らしているという幻想をぶち破いた一冊。第二次世界大戦後に神がかり的な経済成長を果たした豊かな日本、そして先進国とも呼ばれるようになった日本、人々が衣食住に困ることなく、それなりの生活を送れる日本という旧来の日本観は時代遅れなものであるし、そうした日本認識が貧困を不可視化していると筆者である湯浅誠氏は言う。筆者は貧困は見えていないだけであって、確実に存在し、さらに言うならば日に日に社会に進行している現象であると述べる。では筆者の言う貧困とは一体なんなのだろうか。貧困という言葉を目にするとほとんどの人が物質的なもの、すなわち給料の額であったり、貯蓄額などが著しく低い状態を思い浮かべる。これは日本においては常識的に捉えられていた貧困観であるが、筆者は貧困と言う言葉を従来の定義付けよりもさらに大きく捉える。筆者は貧困を定義づけるために「五重の排除」という概念を持ち出す。貧困者はこの五つの排除を経て貧困状態に陥るのである。その五つの排除とは「教育課程からの排除」「企業福祉からの排除」「家庭福祉からの排除」「公的福祉からの排除」「自分自身からの排除」である。とりわけ筆者は五つ目の「自分自身からの排除」の進行を危険視する。自分自身を排除するとは一体どういうことなのだろうか。それは自分なんて生きていても仕方がない人間なんだ、などといった悲観的に自分自身を捉え、すべてを背負いこんでしまう状態を指すと筆者は言う。そしてこの自分自身からの排除という現象が、自己責任論を助長する。つまり、貧困と言う問題を見たくがないために、すべてを貧困者の責任にすることによって、自身の欠陥を隠ぺいしようとする行政や一般企業などには貧困者が自分自身から排除され、悲観的になっている状態が好ましい状態なのである。こうした状態にNO!と強く反発したのが筆者である。さらに筆者は貧困を「溜め」のない状態であるとも定義する。「溜め」とは金銭面はもちろんのこと、人間関係であったり、家族との関係、さらには生きがいなどに至るなど非常に多岐にわたる概念である。そうした溜めがない状態を筆者は貧困状態だとする。これは貧困を金銭面だけから捉えていた旧来の貧困観にメスを入れる画期的なものである。従来の価値観では捉えきれなかった貧困を、つまり従来では貧困とはされなかったものを拾い、そこに光を当てたのがこの「溜め」の概念なのである。そして貧困を定義づけた筆者は「溜め」のある社会を描いていく。
 自己責任論に対してはっきりと反論を提出する筆者にはすがすがしいほどの一貫性があった。貧困は自己責任ではない、という言葉には少し極端なものを感じついていけないところもあったが、従来の物質的財産の欠如を貧困と定義づけていた価値観をぶち壊し、新たな貧困観を打ち立てた功績は計り知れないものであると思った。行政は貧困を不可視化しようと試みているのかどうかはわからないが、こうして広く一般に向かって貧困の可視化を訴える運動というのは、必ず反発を招くであろうと考えるならば、筆者の行動には頭が上がらないものがある。口だけで何かを論じて、何かをした気になっているよりも、実際に誰かを助けることの方が重要なことなのかもしれないと思えたことは、本書のおかげでもあるし、そうした人たちが多く存在する現代社会において広く読まれるべき書物であると感慨深く思った。



『子どもの貧困』 阿部彩

子どもの貧困―日本の不公平を考える (岩波新書)

子どもの貧困―日本の不公平を考える (岩波新書)

子どもの貧困が何をもたらすのか、そしてそれはどのようにして発生するのか。将来の日本を担っていく存在である子どもたちが貧困状態に苦しんでいる現状にアンケート調査などを含む豊富なデータを用いて警鐘を鳴らすのが本書。
 筆者の念頭にはまず、子ども時代に貧困を経験した人たちと何不自由なく育った人たちとの間に大人になったときにどれほどの差が生じるのか、もしくはそこに因果関係はあるのかという問題意識がある。そして筆者は因果関係はある、と述べる。貧困は学力にも影響を及ぼすし、子どもの健康は勿論、親との関係にさえも軋轢を生じしめると筆者は言う。だから、子ども時代に貧困状態で育つということがもたらす機会の不平等や様々な不利な条件を防ぐためにも行政がしっかりとした「子ども対策」を立案し施行していくことが大事なのだと筆者は力強く論じていく。とりわけ第五章の「学歴社会と子どもの貧困」で論じられる学力と貧困との関係は子どもの貧困がもたらす問題の中でも大きい。まず第一に当然のことではあるが、お金がないと学校には行けない。ここでいう学校を義務教育の範疇ではない大学や高校と考えてはならない。現実にはお金がないことが直接的であれ間接的であれ、小学校や中学校に通えない状況を生み出しているのである。例えば給食費であったり、教育の過程でかかる諸々の費用であったり、そうしたものさえ払えない家庭が現実には多く存在する。すべての子どもたちが等しく教育を受けられるはずの義務教育においてさえ、貧困による格差は生じているのである。さらに金銭的な問題だけではなく、貧困は子どもたちの間に「意識の格差」をも生み出す。筆者はこの意識の格差を「努力の格差」「意欲の格差」「希望格差」など様々な角度から分析する。貧しい環境で育っているが故に、将来に対して希望が持てない子どもたちがそこでありありと描かれている。そうしてそれは子どもだけではなく親にまで至るという筆者の分析はある種残酷な現実を我々に突き付ける。子どもと親の両方が将来に対して希望を抱くことなく、毎日を過ごしている。そうした子どもの貧困がもたらす様々な格差を是正するためにも、行政は子どもの貧困に対して真摯に取り組まなければならないと筆者は言う。しかし、現状を眺めれば国際的にみて日本の子ども対策はお粗末であるとしか言えない。児童扶養手当の縮小や母子家庭に対する不十分な援助などからは、子どもの貧困という深刻な問題にしっかりと対応していこうという身構えが全く見られない。そうではなくて、将来を担う重要な人材としての子どもたちに最低限の教育の機会と希望を与えるためにも、国は「子ども政策」に力を入れなければならない。そうして筆者は第七章で子どもの貧困ゼロ社会への11のステップという題を設けて具体的な子ども対策を提言していく。
 豊富なデータを用いて子どもの貧困がもたらす様々な弊害と格差を論じていく本書を読んでいて、ひどく暗い気持ちになった。自分自身、ある程度不自由なく親に育ててもらった身としてみれば、本書で描かれる貧困に苦しむ子どもたちの境遇が不条理過ぎて仕方がなかった。彼らはスタート地点からいわば重荷を背負っている。そうした不平等はやはり是正されるべきである、と強く感じた。貧困が連鎖する社会というのが果たして我々が生きやすい社会なのであるのか、と疑問に思わずにはいられないほどの衝撃を本書からは受けた。




『生き方の不平等』 白波瀬佐和子

生き方の不平等――お互いさまの社会に向けて (岩波新書)

生き方の不平等――お互いさまの社会に向けて (岩波新書)


現在、巷には格差・不平等を強調する問題視する著作が多く存在する。その中で見られる論旨として、社会に蔓延する格差、不平等は一体だれがもたらしたのか、また誰が悪いのか、といったある種不毛な議論に終始しているものも少なくはない。そうした現状において本書が試みようとしていることは、世代間によって異なる格差というものを膨大なデータを用いることによって明らかにし、そうしたうえで格差是正策を検討することである。従来の「格差本」と本書が異なることは、一言に格差と言っても多様な格差があるという認識のもと、格差を区別していることである。この手法に基づいて筆者は社会に蔓延する多様な格差を述べていく。
 筆者は本書の中で大きく分けて三つの世代の格差を論じている。一つ目は子どもの格差である。ここでは子どもの貧困という問題、そしてそれらがもたらす、たとえば教育機会の不平等であったり、親との不安定な関係であったり、様々な困難が述べられる。そして将来の社会を担う人材を育てるという観点や子どもたち個人の人権という観点から、児童福祉政策や現物給付制などの政策の重要さを筆者は説いていく。二つ目は若者たちの格差である。教育課程を終え、社会に羽ばたいていく若者たちの間に襲いかかる雇用の問題がここでは描かれる。非正規労働、不安定な雇用市場など若者たちの手ではどうすることもできない構造的な問題が現在若者たちの目の前に立ちはだかっている。そうした壁を運よく乗り越えたものが勝ち組であり、運悪く乗り越えられなかったものが負け組と言われる。筆者はそうした勝ち負けの判定は実は偶然に左右されるものであって、すべてを若者の力量に帰すことはできないと主張する。そうした構造的な問題の中であえぐ若者たちのためにも、職業訓練の機会を設けたり、住宅支援などの若者援助策が具体的にここでは述べられる。三つ目は高齢者たちの格差である。少子高齢化社会と呼ばれる日本において、高齢者の格差も顕著になってきている。高齢化に伴い社会保障費の増大が国を襲い、社会保障制度は現在、十分に機能しているとは言い難い。そうした中で制度の機能不全の影響を一番に受けるのが高齢者である。しかし、ここで注意したいのは比較的貯蓄があり豊かな生活を享受している高齢者とそうでない高齢者とがいると言うことである。言うまでもなく一番被害をこうむるのは余裕のない高齢者である。余裕のない高齢者は家族との関係や夫、妻との関係などによってかなり左右されている部分が大きい。だからこそ、そうした高齢者を社会全体で支えていくような、つまり身よりのない高齢者を社会が支えるという構造を作っていく必要性を筆者は強く主張する。そこで筆者が持ち出すのが、お互いさまの社会という理念である。お互いさまの社会とはその名の通り、他者感覚や社会的想像力にその基盤を置く、いわば思いやりの気持ちが支配的な社会である。こうした社会を目指すために再分配制度の見直しや子育て支援、就労支援などの強化により社会の保障機能の有益性を感じてもらうことや参加型社会を作り出していくことなどの提言を筆者は主張する。
 筆者の目指すお互いさまの社会というものが実現されることが、すべての問題の解決につながると私は信じてやまない。しかし、そんな魔法のような解決策は容易に達成されるものではないことを筆者も十分理解しているであろう。それでいて、そうした理念を追い求めること、そこに付随する苦しみを乗り越え続けること、そうした立ちはだかる壁に果敢に向かい続けれるかどうかが、こうした理念を追い求める人たちのカギとなってくることであると考えた。是非とも頑張っていただきたいと強く思う。


はぁ。疲れた。自分キモスギ。